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First of all, thanks to Jun Tanaka to have taken the time to answer my questions. The interview was conducted bilingually and the English translation of the interview will be published in the coming week. The decision to publish the Japanese version has a simple reason; the signifiers he uses are his own. As such we can only a fully appreciate Tanaka’s answers in the language he was born in.

Our review of Tanaka’s first feature film Bamy can be found here.

Psycho-cinematography: あなたは滋賀大学経済学部を卒業後、東京映画学校でドキュメンタリーコース受け、その後フィクション映画を作られました。どのような経緯でこのような道のりをたどることにしたのでしょうか?

Tanaka Jun: 確かに、人生は時折奇妙だと思う。しかし人生の大半が淡々としていることも事実だ。奇跡や偶然に頼りすぎてはいけない。

映画を創る時、私は「半分のことは入念に準備し、残りの半分はその場で起きる偶然を捕まえる」という考え方を大事にしている。この考え方はFilm School of Tokyoのドキュメンタリーコースで学んだ。ドキュメンタリー映画にも演出や準備は必要だ。また、フィクション映画にも偶然は欠かせない。

理由は忘れてしまったが、高校時代、私はジャーナリストになりたかった。そして大学の経済学部に進学した。新聞記事の大半を占めるのは経済に関する記事だからだ。しかし私は担当教授が興奮気味に語る初歩的な経済理論に興奮できなかった。でも、友達が趣味で行っていた映画撮影を手伝うことには興奮できた。そして私も見よう見まねで映画を撮り始めた。私も最初はシナリオをしっかり書いた。しかし徐々にシナリオを書くのが面倒臭くなってしまった。なぜならカメラマンも監督もアシスタントディレクターも自分だからだ。今もそうだが、私はさっさとロケーションハンティングを行い、そして撮影をしたいと思っている。そして更に少しでも早く編集に進みたいと思っている。だから私はドキュメンタリーコースを選んだのだと思う。つまり、当時の私は映画のことを何も知らなかったのだ。

P-C: あなたはこの映画を撮影するにあったての予算はあまりなかったそうですね。何人かのアーティストは、創造性は限界から生まれる言いますが。それについてどう思われますか?

T.J: もしあなたがBAMYの中に幾つかのアイデアを発見してくれたのだとすれば、私はとても嬉しい。

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もちろん、十分な予算がない時、映画監督は一生懸命、実現可能なアイデアを生み出そうとする。しかしその努力は、もし予算が十分であっても変わらないだろう。言い換えれば、予算が増えたとしてもクリエイティビティが減ることはない、ということだ。

しかし、予算が無い映画の最大の不幸は、監督が監督として映画のことを考える時間が少なくなる、ということだと私は思う。予算が少ないと、監督はたちまち運転手になり、アシスタントディレクターになり、プロデューサーになる。皆、それぞれプロフェッショナルなポジションだ。一人で何役も担うのは容易ではない。日本のインディ・フィルムメーカーの多くはゼネラリストであることを余儀なくされている。

P-C: 初めて監督として、デビューするにあたり撮影中などに経験した喜びや困難などについて教えていただけますか?

T.J: 嬉しかったことは「映画を作ることは楽しい」という感情を再確認できたことだ。そして幸運にも、撮影中に次の作品のアイデアが浮かんだ。私は「楽しいときに考えた映画のアイデアは楽しい映画として完成する」と考えている。おそらく次の作品はもっとエンターテイメントな映画になるはずだ。

問題だったのはスタッフとのコミュニケーションに時間が多く掛かってしまったことだ。これは仕方のないことだ。私は有名な監督ではない。私はまるでアマチュアのように思われていた。私はスタッフとのコミュニケーションの為に、幾つかのシーンを犠牲にした。

P-C: あなたの映画撮影スタイルに一番大きな影響を与えたのはどなたですか? どの映画製作者とあなた自身を比較されますか?

T:J: Jean-Luc Godard、Theo Angelopoulos、Clint Eastwood、Yasujirō Ozu、Kiyoshi Kurosawa、Edward Yang 、Bong Joon Ho、Jia Zhangke…数えればキリがない。

19251004_865806596917539_986547400_nBAMYのスタイルに関しては常に黒沢清監督の名前があがる。とても光栄なことだ。黒沢さんは日本を代表する優れた映画監督で私も彼の大ファンだ。もちろん私は彼の作品から大きな影響を受けている。私にとって彼は遠い世界にいるスターだ。もし彼の真似をしようとしても、真似できるとは到底思えない。

P-C: どなたのようなディレクターになることを志していますか? もし今後、視聴者が田中隼さんの映画をご覧になるとしたら、どのようなことを田中さんの映画から期待してよろしいのでしょうか?

T.J: 私は”Back to the Future”[Robert Zemeckis]が大好きだ。”Back to the Future”のように、とても豊かで楽しくて、そして凄まじい映画を撮りたいといつも思っている。

P-C: 物語は運命の赤い糸であり、神話が自分の愛の生活を構成するように、全体の物語を構成します。 なぜ恋人の運命の周りの物語を作成する選択肢ですか?

T.J: 私は常に驚きに満ちた映画を見たいと思っている。「驚き」それはとても豊かな映画体験だと思う。私にとって驚きとは「予測できない」「得体の知れない」ということだ。

Jean-Luc Godardは「男と女と一台の車があれば映画は作れる」と言っている。事実だと思う。要は、映画の物語には一組の人間の関係性とその関係性を変化させる第三者の存在が必要なのだ。

BAMYの場合、その「第三者」が「運命の赤い糸」だ。私はその「第三者」を得体の知れない存在にしたかった。若い恋人達の人間ドラマが予定調和に陥りそうな時、その流れを予測できない方向へ強引に転調させたかったのだ。この世界でもっとも強引で理不尽なのは「神」や「運命」「呪い」ではないだろうか?

P-C: あなたの人生の中で運命の一般的な運命と運命の赤い糸のアイデアはどれくらい重要ですか?

T.J: 私はとある俳優から「シナリオを読んだ。しかし、なぜこの女性がこの男性を好きになるのかわからない」と質問を受けた。私は説明できなかった。なぜなら私は「人と人が恋に落ちる理由なんてない」と考えているからだ。

私は登場人物の動機を説明するのが好きではない。得意ではないし、面白いと思えないからだ。少なくとも私にとって「運命の赤い糸」というアイデアはとても都合が良かった。

P-C: この物語は運命から避けられないという事実の他に幽霊も関連してきます。幽霊は、日本の文化においてとても重要です。何が幽霊の視点から運命にアプローチすることを決定づけましたか?なぜ、幽霊物語を作ることに決めたのですか?

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T.J: 私は”視線のすれ違い”というmotifが好きだ。”視線”それはとても映画的なmaterialだと思う。RyotaとFumikoの関係は常にすれ違っている。その”すれ違い”は彼や彼女が見つめているもの、すなわち”視線”によって表現される。”視線のすれ違い”をシンプルに増幅させたのが”幽霊が見える人 vs 幽霊が見えない人”だ。これはRyotaとSaeの関係も同様だ。

P.C: 幽霊は、光の使い方によってほとんど影にあり、視聴者の眺めを妨げます。どのように幽霊を視聴者の眺めを妨げるようにアプローチすることを決めたのか教えていただけますか?そして、目と見ることとの関係?

T.J: 私は暗闇が怖い。なぜなら、良く見えず、得体が知れないからだ。

少なくとも日本人にとって幽霊はモンスターではなく、宗教観に基づいた心理的な闇だ。だから幽霊は遠くに居てぼんやりとしているからこそ怖いのだ。つまり、太陽の光に晒されたりフィジカルなアクションで襲ってくる幽霊は怖くない。そんな幽霊は銃や刀で攻撃できるし、いつか人間に弱点を分析され、家畜か実験対象にされてしまうだろう。BAMYで描かれている幽霊はとてもクラシカルな日本の幽霊として登場する。しかし物語が進むにつれて、幽霊はゴキブリのような他愛もない存在へと変化していく。この「幽霊の怖さの変化」はBAMYのテーマの一つだった。

P.C: 私のBamyのリビューで、田中さんの今後のプロジェクトについてとても興味が湧きました。今後のプロジェクトのプランについて教えていただけますか?

T.J: 次の作品のテーマは”バラスト水によって東京湾に運ばれてきた人魚”だ。外来種の問題や移民の問題を活用したアクションロードムービーに仕上げる予定だ。

また、「自動車試験用人体ダミーの家族が奏でる家族の物語」というテーマにも興味がある。

P.C: ひらがなで書くと「さえ」と「さえき」という言葉の間に妙な類似があり、それは単なる偶然には思えないのですが、それには理由はあるのですか?

T.J: あなたが仰る通りだと思う。私はSaekiとSaeを似たもの同士の恋人に見せたかった。それによってSaekiとFumikoの関係と対比させたかったのだ。しかしSaekiとSaeの名前が似ているのは偶然だ。日本には「名は体を現す」という諺がある。私は日本人だから、自然と2人の名前が似てしまったのかもしれない。スタッフには「まぎらわしい」と言われてしまった。

P.C: 物語の終わりは始まりである、そしてその赤い傘を投げることは、二人の関係が悪くなっていくことを表しています。その物語は循環するようになっていたのでしょうか?

T.J: 確かに、一見すると、物語りは循環しているように見える。しかし、映画のラストにおいてSaekiとFumikoの関係は少し変化しているはずだ。ラストシーン、私は画面にホラー映画の色調効果を施さなかった。そのショットはとてもプレーンで生々しいビデオカメラの映像だ。「赤い傘」という日常的な道具が現すように、私は「一見何の害も無いように見える存在が、実はとても恐ろしい存在に見えてしまう」というコンセプトが好きだ。

 

 

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